巻 頭 言
                                     学 校 長

 今年も卒業生から後輩の諸君への貴重な応援歌が送られてきた。いかにして目標を立て、どのようにして困難を乗り越えたか、母校と後輩への思いも含めて綴られている。
 人は誰でも労少なく利の大きいことを願うものである。ものを買うなら品質がよくて安いものがいいにきまってる。仕事は楽で賃金が高いことを望み、勉強をあまりしなくて希望する大学に合格できることを夢見る。現代は、汗を流さずに一財産を作るという投資家が世間の話題になる時代である。
 だが、そんな虫のいいことがあるわけはない。苦労をし、努力し、困難を乗り越えなければ何も手に入らないものである。なんの苦労もなく悩みもない中で仮に手に入れることができても、それは価値もなく目的達成に程遠いものに違いない。一見、できそうもない難しい事柄であるからこそ挑戦する価値があり、やり遂げた時に達成感が生れ、獲得した実感があり自分のものとすることになるのである。
 自分の人生は、どこかに存在するのでなく、日々自らの手で作り続ける中に存在するものです。自分らしさや自分の人生は親や友人やどこかの誰かが用意していたり、与えてくれるものではありません。目的地がどんなに近くても、1歩でも踏み出さなければ近づくことはありません。目的地がこちらに近づいてくることはない。はるか遠くにある目的地でも弛まぬ歩みを続けることで到達する。どんな勉強や仕事をしたいのか、ふさわしいのか、立ち止まったまま迷い考えるだけでは見つかりはしない。ましてや、もし実現しなかったらどうしようとか、他人がどう思うだろうとか心配ばかりして現実の勉強をしなかったら、本当なら実現するはずのこともできないことになる。「やればできる」と親や先生に言われている力は、現在発揮していない、発揮しようと努力しない限り持っていないのと同じである。何事も始めからスイスイできるわけではない。できるように努力し、慣れて・・・・学び、自分を適応させて、「やったから、できた、実現した」になる。
 小説の一節に次のような文があった。「奇妙な実感であるが、人というものが生きるということを深刻に考えるのは、困難にさしかかったときである。自分について考えるということは、他人について考えることである。順風のときは、何を考えていたのか、不思議なことに憶いだせない。端的にいえば、苦しまない人は多くを得られない、ということである。」(「奇貨居くべし」宮城谷昌光)
 須坂高校で学ぶ諸君の幸せは、全員が困難に向き合っていることである。諸君の幸せは、その困難に対峙している諸君を家族や先生方や友達が、みんな応援していることだ。真剣に人生に向き合い、悩んで欲しい。一人一人が21世紀の主役であることから逃げてはならない。夢・目標・志を高く掲げて、挑戦する中で自分を磨いて欲しい。