奮い起ちなむ諸共に

                                   学校長  塩野 統美

 今春の卒業生諸君が体験記を寄せてくれました。私たちは常に自分で歩まざるを得ないのですが、一人で行うことには不安や疑問も生じます。偉大な先達でさえ、例外ではないようです。
 芭蕉の草稿断片をもとに編集されたものに「笈の小文」があり、その序は周知のことですが、改めて引用します。

 (前略)かれ狂句を好むこと久し。つひに生涯のはかりごととなす。
 ある時は倦んで放耕せんことを思ひ、ある時は進むで人に勝たむことを誇り、是非胸中に戦うて、これがために身安からず。しばらく身を立てむことを願へども、これがためにさへられ、しばらく学んで愚をさとらむことを思へども、これがために破られ、つひに無能無芸にして、ただこの一筋につながる。
 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その貫道するものは一なり。(後略)

 狂句は俳句のことですが、諸君に喩えれば学びであり、部活であり、龍胆祭になるでしょう。現時点での集中が「生涯のはかりごと」として「一筋につなが」るものになることを念じます。
 ただ、俳聖芭蕉でさえ、「行く人なしに」一人ではなく、師友として西行以下の道を貫いた先人を挙げているかのようにも思えます。志には様々の分野があるでしょうが、互いに認め得る存在があることは支えにも力にもなります。その点で、先輩諸兄の体験記は単なる技術論を越えて、志を同じくし認め合う他者が無数にあった軌跡であり、須坂高校で「奮い起ちなむ諸共に」学校生活を送った証と言っていいでしょう。